会いたいホールに会いたい

こんにちは、偏愛パチンコライターの栄華です。

2019年。今年は私が「古いパチンコ店の建物を訪ね歩く」というライフワークに溺れて10年の節目となります。もうすぐ出版物が発売されるのにあたって資料を整理していたら、2015年2月に集計した「都道府県別探訪ホール数」のExcelデータが出てきました。

この時点ではまだ25都府県しか訪れてなかったんですね。四国はほぼ手つかずで九州には全く足を踏み入れていない。現在の訪問数が約2300ですから、3年10ヶ月ほどで約1000店舗訪問、そして全都道府県巡ったことになります。

昭和レトロな建物や施設を訪ね歩く趣味をお持ちの方には共感して頂けると思うのですが、この手のライフワークは「時間との戦い」だったりします。閉店や老朽化などの事情でいつ消えてしまうか分からないからです。

最初は「なくなっちゃうかもしれないから早めに行こう」と軽く自分に言い聞かせていたのが、そのうち「行かなくては」という焦りが優位になり、最後は「行かなきゃ死ぬ」ぐらいの強迫観念になってゆきます。

そうなってしまうのは「喪失体験」のせいです。実際に「なくなってしまった状態」に出くわすことです。精神的ダメージを受け、「もうあんな思いはしたくない」と追い詰められてゆきます。ホール探訪における喪失体験は大きく分けて2種類ありまして…と、こんなモノを分類するのはヘンなのですが、今回は「喪失時のショックが大きかった物件」の話をさせて頂きたいわけです。

 

①一度でいいから会いたかった

念願の初訪問! と思ったら更地、もしくは更地のあと別な建物が建ってるパターン。ダメージの度合いはその物件をどれだけ見たかったかという念の強さにもよるのですが、「あの時はつらかったなあ…」とまっ先に思い出すのはこの物件です。

タイガー(中国地方)

ありがとう、Google。

商店街店舗に自転車来客用の雨よけと電飾が盛られ、惚れ惚れするような60年代感が漂ったホール。看板の「P」と「T」がびろーんとしてるところや、びっしり2色ピカピカしていたと思しき小ぶりの電球、そしてなんと言っても「娯楽の殿堂」というキャッチコピーにゾクゾクします。Googleによる撮影は2013年3月。

このホールが、2016年の12月に行ってみたら…


こうなっていたのです。
この時は生まれて何度目かの「全てを投げ出したい気分」というものを味わいました。この1軒を見ることができなかったせいで、それまで訪ねた1500軒近く、いや自分の人生全てが無駄だったんじゃないかとさえ思いました。というのも、この日は早朝から探訪していたのですが、訪れた物件が「解体の真っ最中」「更地」「店休日」という悲劇のフルコースで心の支柱が溶けかけていたんです。挙句の果ては「更地→住宅」。このケースはホールの痕跡が完膚なきまでに消去されてしまうので虚無感が重篤です。新築売り出しの万国旗を見て「あと半年早く来ていれば…」と立ち尽くしました。そんな状況でも「これからどうする?」という選択はしなければなりません。時刻は19時半。

①近くに宿を取り、翌日地元の住民に聞き取り調査&住宅メーカーに連絡して写真が残ってないか尋ねてみる。
②次の目的地を目指す。

物書きとしては前者を選ぶほうが断然面白そうだし「そうすべき」とも思うんですが、この時私は 次の目的地 を選びました。なぜなら見たいホールはまだまだ残っているからです。行かなきゃ死ぬ んです。死にたくないから次を目指すしかありません。

 

②もう一度会いたかった

ここ数年、読者さんやSNSのフォロワーさんから古いホールの情報を送って頂けるようになり(いつもありがとうございます)、「こんなホールが残ってますよ」という未知の物件情報と共に、「あのホールが逝きました」という哀しい知らせも届くようになりました。

「営業中のホールが閉店した」という情報は入手ルートがそれなりにあります。しかし「閉業済みのホールが解体された」場合は、基本的に現地へ行かないと分かりませんし、思い入れの深い物件には足を運んで自分の目で確認しないと現実を受け入れられなかったりします。

「解体されました」という情報を受け止めることができない。そんな物件が去年は本当に多かったです。その中からひとつだけ、在りし日の姿をお目にかけます。

 

いちかわ大丸(山梨県)

※通常、私はネット上に廃ホールの所在地を詳しく記載することはないのですが(イタズラ等防止のため)、今回は既に解体されていることが分かっている物件なのでしっかり書かせて頂きます。

2014年4月訪問。目指すホールは「身延線・市川大門駅か市川本町駅の近く」程度の情報しかなく、とりあえず特急が停車する市川大門駅で下車しました。

市川大門駅

駅前で地元の方にホールのことを訪ねると、

「ああ、『まんなかの通り』のパチンコ屋さんね」

とおっしゃいます。建物が残っているかどうかの情報も無かったので、たどり着くまで何人かの方にお尋ねしたのですが、

「まんなかの通りのパチンコ屋…いやあ、残ってたと思うけど、どうかなあ?」

と皆さん記憶が曖昧です。

「まんなかの通り」は正式には「中央通り」と言うらしく、この町内案内図(下側が北)を見ると歴史に育まれた活気のある町のように見えます。しかし実際は人通りが少なく、商店街も「しもた屋」になってしまっているお店が目立ちます。

 

さて、目当ての「いちかわ大丸」、この通り建物は残っていました!


現在のパチンコ店から考えられないミニマムなサイズ感。ネオン看板がなかったら美容室と間違えてしまいそうです。建物正面のトタンの外装が、さっきご覧いただいた「タイガー」とそっくりですよね。こちらの方が全体的に簡素な造りのようですが、建てられた時期は同じぐらいなのかもしれません。

 


ガラスブロックがかわいい。夜は店内の灯りが漏れてキレイだったでしょうね。

 


これはお店の側面。失礼ながら扉からチラッと中を覗いてみると、パチンコ店の痕跡は全くと言ってよいほどなく、日曜大工の作業場として使われているようでした。

 


三脚を立てて記念撮影。私の顔が向かって左側を向いているのは、そちらの方向から車が来るからで、一方通行になっていました。

 

ヘタクソで申し訳ありませんが、周辺の地図を描いたので見てください。


いちかわ大丸の徒歩圏内に3つも駅があります(一番遠い市川大門駅で徒歩15分、1.2㎞ぐらい)。地元の方のお話によると、中央通りは昭和40~50年代にかなり栄えていたらしく、旧市川大門町(現・市川三郷町)の中心地でした。

となるとちょっと不思議です。中央通りへの最寄りは市川本町駅なのに、なぜ特急は市川大門駅に止まるんでしょう?

Wikipediaによると、以前はやはり市川大門駅より市川本町駅の方が利用者数が多かったらしく、準急・急行が止まっていたとのこと。それが1995年に特急に格上げされたのを機に普通列車のみの停車となり、しかも無人駅になってしまったそうです。町が急速に衰えてしまったことが窺えます。また、1993年には赤で記した県道3号線が主要地方道になり、地元の方のお話ではそのぐらいの時期に中央通りが一方通行になって車と人の流れが大きく変わったと言います。

「いちかわ大丸」の閉店時期を明確に知ることはできませんでしたが、聞き取りによるとやはり25年~30年前あたりということで、町の変化と関係しているようです。生き残ったとしても1996年には5回リミッター規制がやってきたわけですし、乗り越えるのは難しかったかもしれません。

 

昭和41年からホールのすぐ近くで商店を営んでおられた方によると、昭和40~50年代のいちかわ大丸はすごい繫盛ぶりで、夕食の時間帯はホールから漏れる騒音(軍艦マーチ、店内アナウンス、玉の音)でテレビの音や話し声が聞こえないほどだったそうです。店の前には自転車がギッシリと並び、敷地をはみ出して駐輪するお客もいて隣家は迷惑したんだとか。それが閉業間際には閑古鳥が鳴く有様だったと言いますから、時代の流れは残酷です。

解体されたのは去年の8月。今は更地になっているそうです。
すでに無いことは分かっているのですが、それを自分の目で確かめるため、もう一度行きたいホールのひとつです。

 

 

 

WRITER 栄華

ライター

「パチンコの周辺文化」を探究するフリーライター。全国2200店以上のホールを訪ね歩き写真を撮影するほか、「パチンコ店のトイレ研究」や「パチンコ書籍の蒐集」など、他の追随を許さない独自の着眼点が注目されている。活動媒体は「パチンコ必勝ガイド」「パチンコ・パチスロTV!」など。